まだまだ気が早いですが、ちょっとばかりこういうことも考えちゃうのです。遺産という程のものはありませんが、それでなくても逝くときのことは考えて置かねばならない。
親が冴えない事業をやっていまして、ほとんど金の回らない生活でして、ある時からはほぼ仕送りをする生活であったことは以前に述べました。人生の半分以上は自分の病気と金の心配ばかりでして、そんな人間が、自分じゃ使えなくて幾ばくかでも金を残してあの世行きなんて、絶対嫌です。
後を継ぐ者が居ればいいです。しかし居ない者はどうしようもありません。残ったのが沢山あるなら法律を辿ってあれこれやる人が居るでしょうが、私の場合はそれをするのも無駄程度。多少はあったとしても残してやりたい親族なんて居ません。
そんなときはきっちりゼロにして逝きたいものです。法律的なあれこれを片付けられる程度の費用と謝礼の部分は残して、余裕があるなら多少は自分の楽しみのために使いたいものです。できれば使い切りたい。
でもそんなにうまくは行かないのも現実です。逝く時間を自分で都合よく決められませんし。
あれこれ考えて、結局居酒屋でなるべく使う。居酒屋だけで使い切るのは無理だけど、一部はこれに当てる。私は放浪癖があるのでブラリ一人旅が好きだったのですが世間はなんと言っても昔とは違います。遠距離旅行はやりにくい時代になりました。しかも一日のうちどこかで横になりたくなる習慣が身に付いているから動き回るのもせいぜい近場。子供の頃は人跡未踏の地の果てをガイドを頼んで行ってみたいと漠然とした夢がありました。今はもうそんなこと考えるだけでもしんどい。せいぜいスリートビューで我慢。
あのストリートビューは一応の功績はあると思うのですね。結局どこへ行っても大したことないなと思っちゃったことですね。もちろん現地へ行けば違うのでしょうが。
話が逸れました。そんなことですから、精々今の楽しみは居酒屋の片隅で孤独に飲むことくらいしかありません。それだって月に二回じゃ知れている。とすると、いっそ仕事なんかやめちまって、締めるだけ締めて今ある蓄えで何年生きれるか。仕事を止めるなんて無理だけど、それで結構なところまで辿り着けるならそれでもいいなと、ぼんやりあれこれ考えるのです。そのうち宝くじだって当たるかも知れない。こんなことを考えながらも往生際悪く買ってるのですよね。
とにかく最初は身の回りをコンパクトにすることから始めようとしているのですが、何故か絵を描いたりあれこれでこれも進みません。どうしようもないです。
でかけたときはいつもよりはちょっとましなものを買ったり飲んだりで、思いつくと言っても精々がその程度です。
なんて小さな人生でしょう。無縁坂を思い出すじゃありませんか。
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