普通に、寝姿だけでも面白い人だったのに、そんな人が一体どんな悩みを抱えていたのでしょう…。
あの愉快な人が…とついそういう風に考えてしまいそうですが、それはやっぱりいけないのでしょう。どんな人にも悩みがあり、それがいつしか堪えがたいものになる。原因は仕事に関する事かも知れないし日頃の付き合いかも知れないし、また自身の病気かも知れない。誰にでも起きることです。
話が逸れますが、日常でもお笑い系で気軽に見える人が、実はかなりストレスを持っているってことは普通にあると思います。私は、どの職場でも相手にストレスを与える人間が嫌いなので、大抵の軽口を言われても笑って済ませるような生き方をしてきました。すると相手は勘違いするのです。こいつには何を言ってもやってもいいんだ。
職場の雰囲気を慮ってこっちが遠慮すると図に乗ってくる人はどこにでも普通に居ます。これは外見にも関係するでしょう。見るからに怖そうな相手には皆遠慮します。柔らかくて面白く見える人には遠慮がありません。これは人間の嫌な部分で、軽々しく付き合うにもマナーと言うのがあるのですが、これが守れないことが多いのです。
私の場合、これはどこへ行っても延々続きました。ついにこちらが破裂して職場を去ったこともあります。人と言うのはそうなるまで気づきません。鈍感と言うか知っててやっていると言うか、こういう相手には軽蔑しかありませんが、相手は相手でいじれる人間をいじってストレスを解消しているのかも知れません。逆に親しみの意味でやる場合もあります。しかし参っている人間にはどちらであるかはもう関係ありません。
私はある線では反発しましたが、抱え込んでしまう人の方がむしろ多いのじゃないでしょうか。いつかもっと深いところで爆発するか、爆発しないでストレスを溜め込んで自身がおかしくなるか。突き詰めるとそんなところでしょうか。人の世の中はその危うい線の上で生きているのかも知れません。
どんなみっともない自分でもいいのだと、どこかですっかりの諦めというのも意外に大事なのかも知れません。私の場合は爆発しましたが、これはつまり居直りですかね。居直れればいいのですけど。
竜ちゃんのことに関しては、一民間人が事情の細かく知ることはないので、ここで言えることはありません。ご冥福をお祈りするのみです。
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