2022年5月7日土曜日

山では幻覚を見る

ひとつ忘れていました。山では幻覚を見ると言うことです。遭難者は例外なく見ていると言ってよいでしょう。幾つかの本を読みましたが、遭難者のほぼ全員が幻覚を見ています。しかもそれは現実を遥かに上回るほどの映像であることが多い。


筋

私は幻覚を見たことはありません。気付かないだけで案外見ているのかも知れませんが、確かにこれがという記憶はありません。しかし夢の中なら、現実とは比べ物にならないような、なんと言ったら良いのか、見えているものの迫力と言うか、そのシーンや映像が遥かに現実を上回っているのを何度も見ました。以来、夢と幻覚には似ている部分があると思っています。

このメカニズムはまったく学者でもない私にはサッパリですが、人間の脳がどうしてそんな映像を作ることができるのか不思議としか言いようがありません。例えば、夢の中では見たこともないようなものですら見事に映像化されます。私は絵を描いているので、この辺のことは絵を考える上でも非常に重要なのです。

つまり何かの暗示を表現してやると脳はそれに近いか、またはそれ以上に興味深い絵を脳内に作ることができます。このことが分からない内はいつまでも写真をなぞったような退屈な絵を描いてしまうものです。この辺の意見は色々あるとは思いますが、細大漏らさず描いたものよりも暗示の部分を上手く残した方が私には興味深く感じます。

絵のことはさておいて、脳には本人が欲求することに基づいて映像を作る能力があることははっきりしています。しかしそれは必ずしも捜索隊が来て欲しいと思ったら捜索隊が目の前に現れるようなものとは限りません。そうなることは実は少なくて、あまり関係のない映像が現れるようです。賑やかな街並みだったり、何かの工事をしていたりと様々なようです。これらのことは著者は忘れましたが、遭難を調べて書かれた本に詳しいです。

遭難した--という不安がそうさせるのか。実はそうとも限りません。まだ遭難と認識していないような、まだ不安を感じていないときから、既に幻覚が表れたりするようです。しかし日常であればそのような幻覚はまず起きないので、やはり山の何等かがそうさせるのでしょう。しかし一方、実は海難事故でも、遭難者のかなりは幻覚を見ていると思います。しかしそちらに関しての著作をあまり見かけませんのではっきりしたことは申せません。飽くまで私の推測です。

山をさまよった少女もきっと何度も幻覚を見たに違いありません。まだ少女がどうなったかなどは確定されていません。少女のお母さんはまだ希望を捨てていません。しかしもし山の中で息絶えたとしたら、その幻覚がこの世で最後のシーンではなかったでしょうか。

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