2022年7月31日日曜日

ひとり者があの世へ行く前は

当然整理しておくべきことが沢山ある。沢山あり過ぎて、もうこのまま放っといてやろうかと捨て鉢になる。

例えば電話や電気ガス水道はその直前まで必要で、これを止める訳には行かない。その支払いをのために銀行を解約してしまう訳にも行かない。後を継ぐ者が居れば代送りしてこれは引き継いでいくのだ。ひとり者はそこで終わる。



例えばスマホやネットは、その時期になったら止められる。きっぱりやめて接続料その他がそのまま引き落とされないようにする。でなければ無限に取られる。

しかしこれ、実は結構大変で、先日ちょっと覗いてみたのだが、ネットなんか、なかなかどこをどうやれば解約できるのかかなり分かりにくい仕組みになってる。しかも、ネットを切ってそのあと意外に長生きと言うこともあるのだ。

クレジットカードは無料のもの一枚にして、銀行に関しても一つだけ残して後は解約すればよい。例え遺族が居てもその証明をしなければならないので解約するのは結構面倒。

なんと言っても分らないのはお寺事だ。お墓のこともある。親父が懸命に何かやっていたけど、何も言わないまま逝った。どうなっているのかなんて今も知らない。そして、自分の墓を建てる人など居ないのだ。

法律は法律だから、糸を手繰って親族を探し始める。しかし手繰ってこられた方は、それなりの遺産もなければ迷惑に違いない。だから、その迷惑料だけは用意して置かねばならない。

しかし法律的に辿れる道を考えると、金なんか絶対残してやりたくない人なんだ。それでも迷惑を押し付ける訳に行かないから、せめて相続放棄とそれにかかる費用くらいは残して、後はきれいさっぱりと思っているのだが、そんなに人はタイミングよくは逝けない。

子供なんて居て居なくてもいっしょよ、何もしやしないんだから--周辺の主婦は皆そう言う。慰めのつもりか知れないが、実に不愉快だ。何だかんだ言っても、実際は子供がやるのだ。だから何もかも放っといてあの世へ行けるのだ。そんな人が気楽なことを言うものだ。

あれこれ考えると、何もかも放っといて逝ってやろうとやっぱり思うのだ。使うだけ使って貧乏に行き詰ったらのたれるのだ。もうそれで結構だ。

毎度毎度同じことばかり考える。

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