ついさっきニュースでやっていた。そうだよね、仏壇のこともあったさ。仏壇と位牌は現実にどうすればよいのかなかなか厄介だ。
仏様を厄介と言うのはちょっと罰当たりかも知れないが、これはずっと代送りしているから問題がないのだ。それが途絶える時にはあれこれと問題が出てくる。
仏壇を引き取って供養してくれるお寺さんがあって、供養した後で解体するのだそうだ。勿論ただではやってくれない。親父は長男ではなかったが、生きている最年長に仏様も移動してくる。当家は仏様の数が多い。だから、こちらに呼び寄せたときの最初の言葉が--仏壇を買ってくれ--だった。
先日も記したがお墓のこともそうだ。自分は最後の勤めを最低限やれても、自分のことをしてくれる者はない。なんで先祖代々からの締めくくりを自分がやらねばならないのかとの思いも強い。
どういう訳か経緯上そう言うことになってしまった。勿論自分のことなどどうってことない。世界には誰も知らないところで朽ち果てている人だっている。そんな人は仏壇も墓もない。皆星に帰るのだ。原子か素粒子になって、いつかまた別の何かになる。それで良いのだ。きっと宇宙で何度も繰り返されていることだ。
考えるのは後の迷惑だけだ。自分が逝くことによって、回りまわって誰かが苦労することがないようにするだけのことだ。それだって、何か一つやればとにかく金がかかるのだ。借金と面倒事ばかり残された挙句最後も金がかかるのですぜ。
仏壇に手を合わせる?そんなことをしたら思い出すのは腹の立つことばかりよ。もうしょうがないなとカラカラして、一応は毎朝お茶と水を供えて、ご飯を炊いた時は一番を盛って備えている。一応はやっているのだ。それ以上何がやれなくてもいちいちあの世から文句を言うなと、そんな思いだ。
あれこれ考えると段々腹が立ってきた。
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