2022年8月15日月曜日

お盆は迎え火送り火を焚くのだが

田舎だったら普通にあるのではないか。あるいは庭の広い所ではあるかも知れない。お盆のころになると花屋さんに行くとそのためのガラを売っている。精々100円とか200円までだ。すかすかに乾燥したもので火が付きやすいようになっている。



近所では見かけない。少なくとも町内では見たことがない。夕方にこっそりとやるから見えないだけかも知れない。煙も出るし、多分あまり歓迎はされないだろう。壁を突き合わせている住宅地では無理かも知れない。

当家は車がないので駐車場にそれなりのスペースがある。そこで、昔は兄と一緒に迎え火送り火を焚いた。母が居間の戸を開けてそれと見ていた。それが後には一人でやるようになって、母はもうそれを見ることなく部屋で横になっていることが多かった。そして今は、些細な規模で自分ひとりでやっている。焚いている間は家のどこかの扉を開けて置くものらしい。母がそう言っていたから、それは今も守っている。

紅い火を眺めて、顔が熱く照らされると、ぼんやりと四人が暮らしていたころを思い出す。父は当地へきてから短かったので、ここでの多くを三人で過ごした。皆、楽とか楽しいとかに縁がなかった。あっちでは皆のんびりしてくれていれば良いと思う。

私が生まれる前に亡くなった兄が居ると言う。私にはそのイメージが湧かない。ずっと四人家族のイメージだったが、実は五人だったのだ。三つで亡くなったこの兄を親戚の人は皆賢かったと褒めた。話が出る度にそうだった。正直比較されているようで嫌だった。

この兄がもし生きていたら当家はどんなだったろうかと時々想像する。少しは楽だったか、或いは余計に苦しかったか。

迎え火を焚いたら皆どんな顔でやってきて、送り火でどんなことを言って去ってくのか、毎年そんなことをぼんやりと考える。

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