子供の頃は、食べ物の好き嫌いが許されないで、私は本当に苦労した経験がある。特に私は肉が苦手で、特に血の気が残っていそうな生焼けっぽいのに拒絶反応が凄かった。
給食のおかずには時としてそのようなのが入っていた。それは、ちゃんと煮られているから心配はないと言えばないのだが、でも肉片の毛穴のような部分から脂肪の塊が突き出ていて、周辺に溶けて白く流れている。それは私には得体の知れない怪物のように見えた。
どうしても食べられず、給食時間が過ぎても、その後の授業時間にも机に置かれて、食べられるまでは帰しませんよ式の指導だった。最後には立たされて、どうしても食べろという仕組みで、私は顎が痙攣して吐きそうな感覚と涙目をグッと瞑って噛まずに一気に呑み込んだ。食べれば食べられるじゃないかと、そんな感じだった。車酔いのあれほどのことはないけれど、しばらくは胸が悪かった。
しかしその時に同類がもう一人いた。そいつが嫌いだったのは何だったか知れない。肉以外も入っていたから。でも、そいつはどうしても食べられず、食器を持って立ったまま涙を堪えていた。ああいう時って鼻水も出るでしょ。それがおかずにポトッと落ちて、教諭を逆上させた。ああ、もういいからいいから、汚い----って感じで、それでどうにか許してもらえたのだった。
今ではきっと人権を言われるだろう。辱め以外のなにでもないこんなことが、当時は正しい指導とされていて、多分教諭もそれを信じて疑わなかった。当時の教諭は戦時中を知っているので、なおさらかも知れない。学校の評価も親からも評判の良い女教諭だった。
個人の人権や無理強いがどれ程のことであるかはその後徐々に見直されて、今はもうそんな指導はないと思っていた。だが、突然どうしたのだ、虫を喰えって。本当にいきなりの感じだ。あることは知っていたよ。でもそれがここにきて一気に拡大している感じじゃないか。あの朝日新聞までが推奨するなんて、絶対に怪しい。
おとなはまだ拒否できる。しかし給食で無理やり食べさせるなんてどうなんだろう。あんな場で拒否できるのか。拒否したら教諭や教師はどうするのか。これに抗議した人をクレーマー扱いするのが居るに至って、完全に世の中は全体主義に何等の疑問もなく行き始めていると言ったら考えすぎ?
いやいや、やっぱり世の中狂い始めているのだと、私は素直に思いますね。メーカーが何を考えてどんな製品を作るかは自由。誰が食べようが食べまいがそれも自由。でも、事実上拒否できない仕組みで進めるのは、アレと同じだ。そのうち、食虫パスポートとか言い出さないでしょうね。食料資源に理解があって協力してくれる人とそうでないのを区別するのは当然とか言い出して…。
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