2023年3月9日木曜日

ネットで見知った奇怪な孤独死

不思議な事はあるものだ。何気にネットでニュースを見ていて知った。2020年の春、ある老齢の女性が孤独死した。身長133センチの小柄で、右手の指がほぼ欠損しており、奇怪なことに、古い紙幣で3500万近い現金をバッグにつめて所持していた。尼崎の古いアパートで一人暮らしで、質素な暮らしをしていた。

身元がなかなか判明せず、行旅死亡人となっていたそうだが、残された現金の多さから事件性があるのでは--とかどこかのスパイだったのではないかとかの憶測もあったらしい。しかしすったもんだの挙句身元は判明して、どうやら事件性はないと落ち着いたようだ。

良く確かめなかったが、元は某週刊誌の記事なのかな。右手指の欠損は若い頃に勤めていた会社での事故だったらしい。苦労して生きたのだと想像できる。もしかしたらその時に保険でも降りたのだろうか。しかしそれを使って贅沢するでもなく生きて、ある日突然死を迎えた。何か、自分の楽しいことのために使うとかの考えはなかったのだろうか。そう思いつつ、ついつい時間が過ぎて、気が付いたらと、そんなことだったのだろうか。或いは老後の資金として持って置かねばと決めていたのだろうか。銀行に置かなかったのも謎だ。

この女性の場合は、ただ質素に生きて、それで不自由はなかったのかも知れない。しかし、稼ぎの多くが仕送りに消えた日々を過ごした私としては色々と考えてしまうものがある。お金は使える時にあると有難い。子や孫の為とか、目的があればそれも有難い。でも、孤独に生きて老いれば、それを使って何かしようと思っても、もう段々と思いつかなくなるのだ。身寄りを考えない生き方では誰に残すこともない。

私は学生時代から旅好きだったので、もし若ければ色んな所へ思いを馳せただろう。しかし体力がなくなれば旅に出るのも徐々に億劫になる。私の父がそうだった。若い頃は出歩くのが好きだったのに、晩年は近場の散歩以外にどこへも行きたくないと言うようになっていた。

では他にやりたいことと言って、それも段々と思いつかなくなる。今までの人生が幸せとも思えず、かと言って今も決して幸せと言えるほどでもない----という日常を普通に過ごすと、10年20年はあっと言う間なのだ。これは本当にそうなのだ。その時にはもう膝も痛い背中も痛い息も切れる。

体力も好奇心もあり、色んなことを体験してみたいと思う時期に金がなく、倹しく生きてせめて老後の資金を幾ばくかでも蓄えて、結局それを残して急死する。ありふれた終わり方だと思う。皮肉と言うしかないのだが、若い頃に苦労した人ほど、そんな皮肉な人生を送ってしまう確率がかなり高いのではないか。

きっちりの準備をして、公にも申し訳の立つ程度の金を残して、残りはすっかり使い切ってポックリ逝く。そんな絵に描いたようなことができれば、今となっては万々歳だ。だがしかし、実にそれは、宝くじに当たるほど難しそうだと思う。使い切るにも体力が居る。行動するにもタフでなければならない。それが年齢と共になくなっていく。蓄えた金の行き場もなくなる。

昔から言う。金持ちは自分たちを肥し、貧乏人が残す金は結局他人の手に渡る。

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