2022年12月22日木曜日

千円に困った時代

カードの退会記事からつい昔の苦しかった頃のことを思い出している。以前にもどこかで書いたかも知れない。私がまだ上京する前の親元に居た頃のことです。



父はなかなか軌道に乗らない仕事で四苦八苦しており、兄は何故かあれこれと理由を付けて仕事に出なかった。仕事を軌道に乗せるために親父といっしょにやっているのだと言っていたが、具体的な仕事はなかった。後から知ったことだが、当時は会社勤めだった自分にだけ収入があって、それがどうにか食費の足しだった。後は蓄えを切り崩していたのだろうか。

それでも年末くらいは多少のものはしようということで近くのスーパーであれこれと買って母が煮物を作った。しかしその時に、知らぬ間に母が包丁で指を切っていた。

すぐに気付かなかったくらいだから大したことはなかったのだが、指から流れる血が鍋に入ったのではないかと兄が言い始めて、せっかくの料理が台無しになった。似たようなことが過去にもあった。金銭面での苦労でやつれていたから、あまり注意が行かなくなっていたのかも知れない。ない金出して買ってきたものでせっかく作った料理を食べずに始末する時の母の顔を思い出すと今でも胸が痛む。

結局その時何を食べて年末を過ごしたのか覚えていない。何か適当なものを食べたのだろう。それで大晦日を過ごした。

とっくに貧乏になっていて、それでもまだ余裕が多少はある時代だった。私が上京して何年かすると本当に苦しくなって、後から後から借金の返済日が迫ってくる日々で、その度に電話で泣きついて来て、私もイライラしながら無理して仕送る日々だった。本当に苦しかったなと思う。

当時どんなだったか、後から聞いたのだが、もう食べるものが買えず、缶詰でもと考え、ツケの利く出入りの酒屋へ行ったのだが、払いが何度も遅れたので、お宅は現金以外はお断りと店に言われたそうだ。千円の金もなかったのだ。普通の時はかなり色々とお勧めに従ってウイスキーのセットなども買って、その時に、既に廃品になっている珍しいウイスキーも持ってきてくれたくらいで、割と当家は得意先だった。外回りの人は感じの良い人だったが、お店としてはしょうがなかったろう。

その時どんな思いで母は家に戻ったのだろうか。道々何を思ったか。その夜に何を食べたのか。訊いてももう覚えていないと言っていた。まあ、当然だろう。

当時私は駒込の六畳一間の安アパートだった。どうにか緊急で仕送ったのだったか。私もインスタントラーメンにカッパえびせんを突っ込んで腹を膨らませていた時代だった。

ほんの少し運が良かったのは、その後に私が多少仕事に恵まれ始めたことだった。最悪だけをちょっと助けてくれる神様がどこかに居るのかも知れないと思ったりする。

0 件のコメント:

コメントを投稿