2022年9月7日水曜日

鈍感は人を死なす

昔から言われていることだ。本来もっと物騒な言い方だが、ネットでは、特にGoogleはうるさい。

保育園や幼稚園の送迎など小さな車なのに、何故チェックがそんなに面倒なのか。誰かがやると思っていた--と言うのは事故が起きる典型で、恐らくどこの会社でも入社した時の訓練で言われるはずだ。誰かがやるではなく、必ず自分でチェックするようにと。



過去にも事故が起きているのに全く注意する気配もなく、園児の出席の点呼も確認もしないなど、そんな鈍感が集まって事業をしている。これがどれだけ恐ろしいか。その見本を見ているようだ。

かなり前に、配送用のトラックの中で仕分けのバイトをしていた女性が、突然の風によってドアが閉まってしまい、内からは開けられずに死亡した事件があった。それがどれだけ苦しいか知れない。これなどは以後何らかの対策が採られているのだろうか。

今回、園児は水筒の水を全部飲んで、空の水筒が車内で転がっていたと報じている。園児に徐々に迫るダメージが想像されて痛ましい。何も考えない人たちがすぐ傍に居た場所で。

いつも見る園児の顔がない。そんなこと、毎日のことを預かっている者なら気付かぬはずもなかろう。毎日適当に過ぎて給料になればそれで良いような仕事をしていたのだろうか。

しかし鈍感はどこにでも転がっている。私は過去に医者の鈍感を何度も経験した。鈍感の癖に尊大なのだ。近隣にも鈍感が居る。そのために迷惑を被るが、苦情を言っても--しょうがないでしょ--と言うだけだ。

そんなのが集まって世の中が出来ている。トラブルや事故はなくならない。精々巻き込まれないように自分で注意するしかないのだが、それだって限界がある。

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