2022年3月28日月曜日

ひとり者に新聞は不要

精々家族が四人も居て回し読みができるなら一人あたり単価は安くなる。でもひとりにはもう要らない。大体新聞などというものはとっくにイデオロギー広報誌になってしまっていて、その大半は要らない情報だ。もし知って置いた方が良いなどと言い始めたら凡そ新聞だけじゃなくあらゆるものを読まねばなりません。

荒れ野

しかし母がまだ存命だったころは妙に新聞を読みたがるのでした。他にすることもないので退屈だったのでしょう。老眼鏡をかけてじろじろと眺めていたけど本当に頭に入っていたのかどうか。でもその時間が好きだったのだと思います。しかし自分一人になって以後は購読を止めました。

今現在朝夕刊でいくらなのか知らないけど、私が購読を止めたときは月3980円だったか、はっきりとは忘れてしまったけど年間5万弱だったかな。それでもう五年以上なので、結構手元に残った感じです。それが今あるとないとでは全然違います。心の余裕も違う。20万以上ですよ。新聞に書かれてあることなどとてもそれに見合うとは思えない。もちろんそう思う人は購読すれば良い訳です。

新聞にあるくらいのことはほぼネットから得られることでしかないです。馬券師が秘密情報を売っている訳じゃあるまいし。だから新聞の部数減などは当たり前で、持っているのが私には不思議です。因みにその辺の知り合いに訊いてみると、大体番組欄と週刊誌のCMくらいしか見ていないと言う。なんともったいない。番組なんかテレビで見ないのかな。まだ新聞で見る習慣なんでしょうか。不思議なものです。他を読まない訳じゃないけど、細かい文字をじっくり読んでいる時間なんてないと言います。つまり殆ど読んでいない人が多いのです。

新聞はぜいたく品です。そこに払う金があるなら私なんか絶対飲み代の方が良いです。

昔ちょっと困ったことがあって、ある人から新聞の社会部に電話すればよいと勧められたことがありました。過去に相談に乗ってもらったことがあったそうです。それを真に受けた私は電話しました。一瞬、どこかの組の事務所にかかったかと思いました。

まあ、荒っぽい世界だから実態はそうなんでしょうけど。

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