2022年3月21日月曜日

自分の歳って忘れているくらいが良いと思います

普段他人に問われることもないので、自分の年齢がはっきりしない。何年生まれということだけ覚えていて、それが必要な時にだけ照合して思い出すけど、その度にガックリします。そんな年寄りだったのか…。

赤く咲く花

いっそ住民台帳なんか消えてしまって、世の中の人の年齢が一斉に分からなくなったら面白いだろうなと、ふと考えます。大体人というものは、その年齢だと自分で認識したらその通りになるような部分があります。若いつもりの人は忘れているくらいが良いのじゃないでしょうか。

とはいえ私も無論若くはありません。役所からも健康問題で注意も受けています。私の町はなんだかものすごくその面で熱心。

でも、ある意味決心したのですよ。我慢を重ねて細々と寿命を引き延ばして、自分が動けなくなるまで生きて、自分の尻も拭けなくなって、そんなゴールを目指す意味がどこにあるのか。つい、ある日の役所の健康相談で言ってしまいました。

何しろひとり者は何かあったときの手続きさえ自分でやらねばなりません。怪我とか病気などで入院するときでもね。だから、そういうことができるうちということがあります。生きてはいるけどボケているし身体も動かないでは始まりません。そこに至るまでに行きたい所へ行ってやりたいことをやって食べたいものを食べる。どうせいつかはの問題だから、そっちへ舵を取りますと。

だが、そうなるとむしろ、まだまだ山登り程度ができる間はなるべく健康には注意しようと、そんな気になってきましてね、不思議なものです。昔は結構飲みましたが今は精々多くて月に二度の居酒屋です。マンボウのおかげで我慢を強いられていますが。

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絵のはなしですが、記事のあるときはできるだけ毎日飾ろうと考えていますが、絵もボケ防止には良いと思います。あれこれと考える。絵を一枚描くには本当に色々と考えねばなりません。これがとても重要だと思うのです。絵に限らないのですが、絵は手軽です。

皆さん、たまには絵を描きましょう。別に…無理しなくても良いですけど。

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