2024年2月23日金曜日

投資とFIREの話

時たま投資の話をしていますが区切りなのでちょっと書きたいと思います。

22日の終値で日経平均がバブル当時の過去最高値を抜きました。こういう日を目撃することは、私自身多分ないだろうなと思っていたし、投資をしている人であってもなくてもこれはちょっと歴史的瞬間かも知れません。

私など自分の老後を賄えるかどうかのレベルなのでどうってことないですが、投資をしている人は皆さんホクホクでしょう。ちょっと前に銀行や証券会社に騙されたと怒っていた人も今は達人の振りをしているかも知れません。大方人とはそういうものです。

資産を増やした人のなかには既に働かない状態を成し遂げている人も少なくないと思います。これは世間ではFIREというそうです。まったく何でもかんでも英語にと思うし昔はそんな言い方はしなかったけどはっきりとそれが目的であるとしているブログも少なくなかったと思います。現実にそれを達成した人は自分を成功者と位置付けて大抵は成功譚を書きたくなります。そして世間を教えにかかります。

現実にあちこち眺めているとそんなブログの記事を見かけます。自分が経済的自由を達成した理由--とか、海外に移住して自由に暮らせている理由--とかの記事を時には有料記事にしています。そしてやっかみの強い人がこれに嫌悪を持ちます。

私は絵を描いているのですが、昔からの教訓があります。

教えたがる人からは習うな

絵を描く人もちょっと上手くなったと錯覚した人はたいてい他人を教えたがります。その癖--絵は上手い下手ではない--とかの達人ぶった生意気なことを言い始めます。そしてここが面白いのですが、自分より上手い人をモロにやっかみます。

まあ、こういうことを言うから絡まれるのでしょうが。

つまり、成功譚を言いたがる人とそれをやっかんで貶す人は同じだと言うことです。

市場は誰にとっても平等で、ある人に100円騰がったのにある人には100円下がったと言うことはありません。どんな市場でも100円騰がったとすればその市場に参加しているなら誰にとっても100円騰がっています。つまり依怙贔屓がないのです。どの世界でも、学校でもそれを経験してきた身なのですが、ようやく年配になってから投資をはじめました。年配になるまで余裕がなかったのです。何をやっても褒められる人も何をやっても叱られる人も市場には関係がありません。そしてもし損をしても自分の責任です。

しかし長期目線であれば、結果的には値上がりしていくものだとの観点で、将来のために備えて置くのは悪くはないと思います。

問題は、日々まったく余裕のない人々のことです。当家は余裕どころか長い事借金に追われていたので他人のことを言えませんが、世の中の景気が好循環になってこの辺が少しでも改善されることを願わざるを得ないです。

更に言いますと、資産を築いても人と言うものはなかなか遊んでいる訳には行かないものです。人は--知--の生き物なので、何らかの仕事をしない人はいずれどこかで行き詰ると私も思うのですが、しかしそれこそ各人の自由であり、そこから身を持ち崩したとしても放っとけばよいですね。

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