2023年11月5日日曜日

現実問題、いつまで仕事を続けられるのだろう

某画廊を訪れた時、店番の女性から、実は物が歪んで見えるということを聞いて驚いたことは書きました。普段気付かないだけで、意外にそういう人は存在するのだろうとその時思ったのです。日常で困ることがなければ、多分気付かないまま過ごしている。そして多分、その方が幸せなんだ。

先日仕事仲間と会食する機械がありました。普段お会いする機会がないのだけど、同年配の、もう長くこの仕事をしている人と話す機会がありました。彼も眼にはあれこれと出ていて、そっちの手術をしたばかりだそうです。白内障も多少はあるそうです。もっと話してみると、やっぱり物が歪んで見えているというじゃありませんか。

ええ、ほんとに?

そんな感じでした。しかし現状は大したことがないのでそのために物が見辛いとか仕事が辛いとかはないそうで、その点では私よりは状態は軽いのだと思います。私の場合は短期間に一気に出てきた感じで、あまり忙しいと仕事がかなり辛く感じます。

とはいえ、こんなに身近に似たような人がパラパラと存在するなんて、まったく思いもしませんでした。とするとこれはやっぱり、歳なりに出るものが出たと解釈するしかないようです。気が付けばなるべくのことはやっているのです。サプリはもちろんですが、ツボを押したりと、それがどんな効果があるか知れませんが、まあ、ただですので、やるだけはやってみてと言う感じです。進行を少しでも遅らせればよい。

現実には、いつまで仕事を続けるかという問題になってきました。元々いつまでも続けれらることはない。眼を使うということは、いつかは限界が来るものなので、来るべきものは受け入れねばしょうがありません。その後はなるべく体を動かせるように頑張ってみて、最後にやり残したような、細やかな楽しみごとができればと思っています。

いつもいつも同じ日々を過ごして気が付かない間に歳を取っていたのだ。別のメンバーの、つい何年か前に会ったお子さんがもうとっくに成人していると聞いて、そうだったのかと思うことしきりです。自分だけが老いないはずはない。いよいよ終活に取り組まねばと、ある種の覚悟を抱きました。

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