先日、従弟が他界したとの知らせが来ました。私より五つ若かった。社会人になってからは殆ど会うこともなかったが、子供の頃はどこへ行くにも私にくっ付いていた。あいつがなあ…、そんな思いを抱くしかないです。ずっと前に脳梗塞になって最近は入院しっ放しだったとか。コロナが完全に払拭された折を見計らって一度手を合わせに行こうと思っています。今でも行けるのだけど、あちらが神経質で。
一方、知り合いのお子さんが、やっぱり脳梗塞で倒れた。順序が逆だと嘆きもするけど、こればっかりはどうしようもない。でも、若いのにどうして、自分なりに多少の疑問はあるけど、それを言ってもしょうがない。
恐らく、食事やその他の面でもあちらは私よりずっと環境が良い。それを思うと、自分が今こうして目の不自由を嘆きながらもなんとか仕事をしている。生きている。それはまったく、まぐれでしかないだろうと思うのです。子供の頃から脂っこいものが好きで辛い物や塩辛いのが好きで、お好み焼きにはソースをベッタリ。酒タバコもやるし(タバコは止めたけど)で、今もって居酒屋通いを止めない。血糖値はもう十五年も高いまま。そろそろ後始末を付けて置かんといかんなとは思いつつ、それも進まず、どうして今も生きながらえているのか。
来るときは来る。人の寿命は分からないが、知らせを受けるにつれその思いを新たにする。だからって、もういまさらできることだってないのだ。眼だってもう何年持つか知れない。その前にコロッと、それがあるかも知れない。後何年と言うことだけど、神様が活かしてくれている間になるべくのことをして、立つ鳥跡を濁さずで行ければ言うことはないですね。
その前にもっと遊びたいけど。まだまあやり残したことはいっぱいあるからね。
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