2024年7月11日木曜日

苦しい人の記事をつい自分と重ねてしまう

そんなに長い期間じゃないけど、私も当時としてはそれなりに収入があった時期もあります。でも、そんなときでも親元の事業が全然で、あちらから切羽詰まった電話がかかってくるとブツブツ言いながらも仕送りをする毎日でした。それがいったい何年続いたか。何年どころじゃない。今思い出しても頭にくる。いつまでこんな状態が続くのか、それとも親を見捨てれば良いのか、もう本当に人生が溶けて行くというか、そんな時代を過ごしました。果てしなかった。

いま経済記事などを読んで、手取りがこれしかなくて、なのに奨学金の返済があったりして、もうそろそろオッサンに近い年齢で、そんなじゃとても世帯なんか--そんな記事を読みます。この人は奨学金を受けていたので言ってみれば自分の借金です。理由は違うけど、働いても働いても自分のもとに残らない。それは似たようなものです。しかし奨学金の返済が未来永劫続くわけじゃないし、なしの人もあるので、そういう人に言わせると、それはしょうがないやね、と言うことになってしまいます。

しかしとにかくそういう生活苦が老後まで続くのかと思うとゾッとする。早い話がそこになってしまいます。世帯を持とうなどとても思えないだろうし、子供なんて冗談。世の中を楽しむなんてとてもとてもなんでしょう。そして日常ごとの細々したことをやっている内に一日が終わる----という記事です。それがずっと続く。そこって怖いですよね。

でも結局、今の私の日常もそうなのです。ブログ書いたりしているし、それはそれで楽しくもある。居酒屋通いも楽しい。居酒屋で考え事をして手帳にメモなどする時、結構文具マニアでもあるので、ひとときは幸せです。私はそんな意味では細やかな楽しみを、今は持てている。

でも、こうも思うのです。こういうことだけをしていていいのだろうか。本当はもっと楽しめたことって沢山あったはずで、それをずっと犠牲にしてきた。これはもう人間の定めだから文句言ってもしょうがない。だから、仮にも自由になった今は楽しいことをいっぱいやるのだと思っても、はてどうする、今さら遠くへ出かけてどうなる、温泉が楽しいか、帰りが疲れて大変だぞ。山などもう登れないだろう、呆け防止に絵を描いてもいるけど、それだってもう今更なにになる、他にもっと楽しいことがあるだろう、そんなことばかり考えて、何の気なしに一日が終わってしまいます。また一日が行ってしまうな、そんな感じなのです。

そういう時って案外、仕事が入っている時の方が気が楽なのですよね。その意味では、老人FIREといったってしょうがないなと思うのですね。でも私はとっくに老人だから、そこはもういいのです。今何とかなっていれば。若い時期に将来が見えないと辛いのですよね。

長々ですが、もう字がボケて見えるのも居直っています。それこそ何に気を付けてどうなるものじゃない。そこははっきりしてきましたからね。人それぞれではあるけれど、歳をとるってこういうことですから、受け入れるしかないです。

現状若い人は、個人的にはやっぱり投資をお勧めしたいところです。そのことはまた記事にしましょう。

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