2024年6月21日金曜日

老後資産の取り崩しを始めたら

 いよいよかなって、その時は思うのだろうか。ちょっとそんなことを考えています。今はまだ仕事はできます。まだ大丈夫。でも私としては、短くてあと一年、長くて二年が限度かなと思っています。こればかりはわかりません。神様次第。あるべきところで淡々と生きるしかないです。

ローンがもうちょっとで終わることを書きました。片方で投資などをしているのでそっちへ資金を回してチンタラ返済をしてきたのですね。まだ払い終わっていないことを二軒隣りの親父に馬鹿にされたと言うことも以前に書きました。

とにかく終わると年間かなりの余裕ができます。なので、仕事ができなくなったとしてもダメージは少ない。だから、オタオタすることはないと言い聞かせています。でも、実際その時が来ると、これはやっぱり考えるでしょうね。

運用している分が増えてくれれば取り崩しても資産が減らない可能性があります。しかし市場のパニックなどで一向に増えないか大きく減ることがあったらかなり心細くなります。バランスが問題なのですが、結局は運用したからこそ今があるのでそのまま運用は継続します。減っても増えても。

でも、分かり切っていることなのですが、そもそもは切り崩すために資産運用を始めたのです。私は一人身なのであの世に持っていけないものは減らしていくのが本来です。法律上の相続人があったら、これが困らないようにもし相続放棄するならその分の費用と、その場合は家が放置屋敷になるので、これをどうするかの迷惑料を住んでいる自治体に残して、後は使い切るのが最も良いのだと思います。

そう考えると、むしろ折角の資産を切り崩さないままあの世行きというのも全くつまらないことです。突然何かあったら資産がいくらあろうがなかろうがもう関係ありません。

一部には、後のことなど考えるな、逝ったらもう終わり。残ったものが勝手に色々とやる。それが世の中と割り切っているような考えもあるようです。一理だと思います。

今頃になって急に、あの2000万円問題がそれでは足りないとか4000万くらいは必要だとか言い始めています。必ず出て来るんですこういのが。インフレ分を過剰に乗せるのですね。しかしそうやって残したまま逝く。これがもっともつまらない。

無駄に使う必要はないけど、使いたい時には使う。積極的にその頭で行きたいと思っています。齢を喰ったら使うことも意外に難しいのですよね。大酒も大食いもできないし老いた身体で今更夜遊びもない。

そう考えると、老後がいささか心もとなくても、若い頃に好きなことをやる人生もありなのだろうなとは思います。世間様に迷惑さえかけなければ。

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