2024年6月9日日曜日

年収600万でも辛い?

そんな記事をチラ見したのです。ホントにそうなのか。

40代でも年収が600あればバブル時代でも悪くはなかったはずですが、どうしてそんな記事が出るようになったのか、全然信じられません。極大雑把に言えば、子供が複数居て、それなりの家に住んでローンを払い、この年収は低所得者層ではないために政府の援助がないとか…。

それでも600万は全体の二割しか居ないというのだから、これが勝組でなくてなんでしょう。それが苦しい?

手っ取り早く言えば同じ600万でも昔より物価も税金も上がっていると言うことらしいです。

そんなに上がっているの。うーん、そう言えばバブル当時新たに転居した街の弁当屋さんを良く利用するようになったのですが、コンパクトにまとめられて割と美味しい弁当が当時500円でした。そこに12年住んで他へ転居する前は800円になっていました。

あがったなあとは思っていたのですが、改めて考えるとこれはものすごいですね。しかし当時利用していた定食屋さんの値段がそんなに上がったかどうかまでは覚えていません。多分気になるほどではなかったのじゃないかな。

しかしそれ以後30年経っているので、私は血糖値の問題もあってもう外では定食は食べないけど、今はどれくらいなんでしょう。そんなに無茶苦茶上がっているのでしょうか。しかし全体的に二割上がるだけで凄いですから、やっぱり楽ではないのですね。当時ひと月どれくらいで暮らしていたのか、ほとんどを親に仕送りしていたので、もう全く忘れてしまいました。

しかしこういうことは言えるのじゃないですか。昔って貧乏が当たり前にできたのですよ。ほんとに貧乏の子だくさんて普通に居たのです。粗末な狭いアパートにすし詰めになって暮らしていましたからね。私のクラス仲間もそうでした。彼は夜店に行く小遣いもなく、制服を買うお金もなく、夏の半袖服など袖をまくり上げて代用していました。それを誰もあれこれ言わぬし、本人もひねくれたような感じがなかった。普通とは言わぬでも、まあ普通にありました。私だって萎れた服を長いこと着ていたしお年玉以外に小遣いと言える程のものはなかったし、金持ちの息子が持っている玩具が羨ましかったことってあるけど、それが普通だったですからね。見栄を張る必要がなかったのです。

車のある家は少ないし、単車もない。あっても自転車。テレビは一家に一台。スマホを持つ必要もない。通信費が要らないのです。物価や税金の他に、今は色んな事に出費がある。デフレだったので時代と共に給料があがらなかったということもあるけど、それが大きいのじゃないかな。安い借家がみっともなくなかった。いまは親が払い終わった家があっても別個に住宅を買ったりしている。

そりゃ苦しいでしょう。でも、だったら、世の中には300万ない人もあるのですよ。どうやって生きてるのですかね。

貧乏人の子だくさんでも、親父だけが働いて、かみさんは内職くらいしていたかもしれないけど、それでなんとか養えたのです。あの時代の方が豊かだったのですかね。

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