2025年6月8日日曜日

自分にもいつ何があるか知れない

ミスター長嶋さんが脳梗塞で倒れた年齢を考えると、そうのほほんとはしていられないというのが正直なところです。終活という程ではないけし、世の中には終活を考える人とそれをなぜか貶すタイプの人もあって、そんなの自由でよろしと私は思うが、そのことはさておき、いくらなんでもこのままでは逝けないと感じる部分があったらそれを解決するべく行動しても悪くなないでしょう。

でも、単なるおひとり様じゃなくて、そこで家系が途切れてしまう人はちょっとしんどい。かなりなことをしなければならないです。仏壇やお墓も子があれば引き継げるけど、最後のものはどうにかしなければならない。突然なにかあったら、それはもうしょうがないのだけど。

大抵の親って、面倒なことをゴッソリ残してあの世へ行く。それを代々続けているのです。でも最後だけはみーんな引き受けねばならない。養子でもとれば別ですがね。

この二年程は大方異常が現れた眼にばかり神経が行っていて、他のことはあまり考える余裕がなかったし、仕事もやり続けているのでそれをこなしながらだけど、そればっかりだと自分の楽しみもない。もっとやりたかったことがあるだろうと思うのですが、それをするにも段々と気が面倒になってくるのですね。

最後は本当に金もかかるし時間も体力もかかる。母を介護している時にはまだピンと来なかったけど、それから早や12年経っている。その間にできたことって何だったかなと考えると、ろくなことができないままです。

時間ばかり過ぎて、いったいなんだろうなと首を傾げています。 

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