2024年11月1日金曜日

歓喜の裏で消えていく人もある

米ワールドシリーズはドジャースの優勝で今年のシーズンが終わりました。途中経過では持ち越しだなと思っていたけど、意外な成り行き。その発端はジャッジのエラーからでした。辛いでしょうね。途端にあれこれ言われる。

とはいえ、誰から見てもあの舞台に立てること自体が凄いこと。それにしても大谷さんはWBSでも頂点を味わったし、持てるものを全部持っている人だなと思います。世の中にはこういう人もある。

しかし、その陰で遂に能力を発揮できず、或いは何らかの事情で失意でその世界を去っていく人があることを、私はこんな時いつも思うのです。勝負の世界はしょうがない。それはそうなのですが、そもそもはベースにすら立てずにその世界から落ちていく人がある。私など、どこを振り返っても人生的にそうでしたから余計にそう思うのです。

そういう人だって、今度は違う道で生きなければならない。でもそこでさえ間に合わないかもしれない。事実、私はそうでした。どうにかぶら下がってというのが正直なところでしょう。

でもね、大半の人間は平均的な存在なのですよ。振り返ってみれば、私は恐らくどこであっても平均以下の評価だったでしょう。周囲の人間の口のきき方や経営者の雰囲気でそれが判ります。いつしかそれが当たり前の人生になりました。

どうにかなってきたのは、ここで何度も書いていますが、自分にしては上出来です。人とワイワイやるのも好きなのですが、どちらかと言えば一人居酒屋でぼんやりするのが好きになったのはそんなところが原因しているかも知れません。それでも根は陽性なので、今は両方を楽しんでいます。その面では、現在の私はそれなりに幸せと言えるでしょう。過去から予想した未来はもっと悲惨でした。

じゃあ飄々として生きたかと言えばそうじゃない。どこへ行っても悪戦苦闘。今はライフワークで絵を描いていますが、それが注目されたことすらありません。ホリエモンが例えて話す、完全に能無しの部類です。

それでも人は生きる。生きなきゃなんない。他人に怒鳴られ安い賃銀で働く。不遇のままで生きる、その両極端を、こんなときいつも思うのです。野球だけじゃありません。五輪の勝者などを見る時も、笑顔で賛辞を送りつつも、真逆をいつも思うのです。

どんな頂点もその瞬間のもの。人生は長い。それだけは忘れないようにしたいですね。


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