2024年11月25日月曜日

徘徊癖は孤独の証か

徘徊って、目的もなくうろつくことだとある。私は街を徘徊する癖がある。もう子供の頃から。あれってやっぱり気持ちが落ちていたりする時には結構あって、通勤していた時など、わざわざ幾つか手前で電車を降りて長い道のりをブラブラと歩いて帰る癖があった。帰るという目的はあるけど、別にどこを通るとかはない。だから徘徊に近いが老人の徘徊とは一応区別する。

心のダメージがあると、ぼんやり街の景色を眺めながら歩いたりして、別に深いことを考える訳でもないけど、なんとなくそうしたい気分になることがあった。

そんな時の気分はまず絶対に晴れやかじゃない。ウキウキしていたらまずそんな行動はとらない。人にもよるのだろうけど、何か問題を抱えているとか、考えなきゃならないことが色々あるとか、多分そんな時が多い。

デザインスタジオでバイトしていた当時、電車の手前の駅で降りて普段は訪れない街を通り抜けて長い時間かけて帰宅したりが何度もあった。その時は別に何らかの問題を抱えていた訳じゃないし不安があったのでもない。あれはなんだったのかなと今頃になって考えたりします。

特別な不安はないし仕事もまあ何とかなっている。帰宅時にはターミナルのデパートでウイスキーなどを買って帰る楽しみもあった。でもバイトに過ぎないし、そもそもバイトだけでやっているスタジオだし、いつまでそこでやって行けるのか、賃金だって上がっていくのか、あれこれ考えると、それはやっぱり潜在的な不安であって、その不安は他人とは共用しない。そこがやっぱり孤独と言えば孤独なのでしょうね。

子供の時の徘徊癖は、当時の家の雰囲気がしんどかったりとか、そんな時だったかな。家の雰囲気が嫌だったことは何度もあります。別に情緒を壊してしまう程じゃなかったけど、やっぱり孤独は孤独でした。あの場合の孤独は楽しめる孤独なんてもんじゃなかったですね。

そうやって、昔徘徊した辺りを今はストリートビューでかなり見ることができます。随分景色は違っているけど、何を考えていたかな、なんて思いながら眺めているとちょっと不思議な気持ちになります。

今住んでいるところでは徘徊そのものが無理です。一駅手前で降りたりしたらもう歩いては帰れない。しかも孤独に徘徊できる雰囲気じゃない。それが田舎と言うものです。孤独に付き合ってくれるのは、私の場合はやっぱり街じゃないとダメなのですね。

田舎って本当にダメ。田舎で孤独な人って、かなり潰れる危険があるのじゃないだろうか。


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