2025年9月25日木曜日

久しぶりにちょっと投資の話

投資の話は久しぶりです。昨年の夏あたりからトランプショックとか色々あって、私も何度も悲鳴をあげました。その度にちょっとばかり投資法を変えたりとあれこれやっています。これは投資に退屈しない秘訣でもあると思っているのですが、大体パニックの時というのはじっとしているのがなかなか難しいのです。

一旦はかなり資産も減って情けない思いをしていたのですが、それが最近はどうしたことか、多くの関係者の予想を上回るような上昇です。他の市場に関してもそうなのですが日本市場の強さはどうしたことでしょう。こんなのは過去にあったかな、ちょっと記憶にありません。しかもこうなってくると暴落用心よりもむしろスルスルと騰がってしまう可能性もあるそうです。なんとも難しいところです。私は適当にヘッジしながら付き合っていますが。

投資を始めてもう17年になりますが、その間本当に色々ありました。あのリーマンショック以後はしばらく冴えない期間が長くて本当に鬱陶しい日々でした。リーマンショック以前に始めて、それまではかなり強気で景気の良いことを言っていた人もその時代にかなり見かけなくなりました。しかし振り返ってみればその頃にリスのようにチマチマと蓄えた人が結局は増やしているのであって、人というのは長いスパンで考えるのが本当に難しいのだと思います。

あの時代に、例えば投資家の集まりなどに出てきて怒りを爆発させていた人も多かったのじゃないでしょうか、私もそれを目撃したことがあります。昨今でもNISAが始まって以後急落したのでネット上に押さえきれず怒りを書き込んでいた人が存在しました。しかしそれさえ黙って知らん顔していたら今はむしろかなり増えているはずです。

しかしながら、パニックで癇癪起こす人は(大抵私の様な老人ですが)増えたといったら間違いなく自慢します。これは人間の性格です。他人の言うに任せず大雑把でも自分で理屈を飲み込んで運用する。すると市場には必ず下げというものが必要であることがわかります。でなかったらむしろ、何があってもダラダラと付き合うのが良いかも知れません。

私は既にまとまった仕事をせずに生きています。関係先だけでは手が回らなくなったものを概ね受けているだけですので決まった収入はありません。そうなることはわかっていたので資産運用に踏み切りました。じっとしていても破綻です。なにかするしかなかった。しかしもし資産運用(つまりファンドの長期運用です)をしていなかったら今はかなり大変です。居酒屋を楽しむ余裕なんて多分なかった。

これは子供の頃に、親からも学校の先生からも指摘されて叱られていたのですが、何かやり始めても長続きしない、勉強しない、ダラダラしている、と言われていました。つまり劣等生だったのです。従って資産運用と言っても世間様のように巧みな運用ができるわけでもないです。しかし妙にこれだけには多少の興味が持てて今に至っています。案外ダラダラしているというのが適当に市場と付き合えるという意味では良かったのかも知れません。長続きしないと言っても、その時止めてしまうことすら面倒だし、適当に放置したままだったりしました。それでも市場は動いているので運用を続けていることに変わりはありません。つまり長期運用は私の様な怠け者に向いているのかも知れません。

まだまだ残り時間はあるようなのでもう少し投資は続けますが、減ったと言って癇癪を起さず増えたと言っても自慢せず。そして明日儲かるようなことは考えない。これをまず訓練したらどうでしょうかね。他人様のことは関係ないので余計なことですが、 自分の身は自分で守る。しくじるのは大抵短気な人だと思います。そして物事の歪んだ解釈をしない。これが大事じゃないかと思います。未だに資産運用などといったら怪しげな不動産セミナーと同じような解釈をしている人が居ます。ファンドは騙すための商品だとか。しかし市場はもっと解りやすく単純です。そして依怙贔屓がありません。誰に対しても同様に市場は動きます。ある人にだけ有利不利にはたらくことはないです。

なにもしない、というのはそれで結構じゃないかな。心の平和は大事なので。私は今後も同じように運用するだけです。そろそろ終える時期ではあるのですが。


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