先日来のことがあって、仕事はもう切るつもりでした。受けているこちらがもうやらないと断るつもりでした。普通は話が逆。でもそれは一応の余裕が計算できるからなのであって、ギリギリで生きていたらとても自分から仕事を切るなんて無理。
かなりな口調で苦言をしたし、だから、或いはもう連絡してこないだろう、それならそれがけじめだと思っていました。なのに昨日、急ぎが入ったのでやってもらえないかと、かなり大人しい声で留守電に入っていました。もう無視していようかと思たのですが、それも後味が悪い。
一応多少の話をして、あちらも少ない人数でやっていて、いきなりやりませんじゃきついし、じゃあ仕事だけは坦々とやります、他のことに関してはもうあれこれはなしです。そんなことで仕事だけは継続することにしました。でもそれだって、どうせあと何年できるか。
ちょっとだけ仕事をして、後は年金などを足して生きる。それができている状態がセミリタイヤなのですか。でもそれって、セミFIREとどう違うのでしょう。
FIREって若くして経済的自立を確保することだそうです。でもFIRE目論んで失敗して楽に生きるどころじゃなくなっている人っていっぱい居るじゃないですか。ケースによるけど、失敗したら火傷が凄い。なにしろFIREですからね、齢喰っても引きずると思う。そんなのに比べたらこっちが断然FIREですよ。齢喰ってるけど。
年金だけで充分に生きて行ける人って完全にFIREですよ。そんな有難い状態をリタイヤ組っていうのも変です。リタイヤって引退をイメージしますしね。人生に引退はありません。むしろそこからが人生じゃないですか。そこからがFIRE。水戸黄門は隠居してからが有名元気。まああれは殿様だから金持ちもなにもあったもんじゃないけど。
仕事をしてなきゃボケると言うなら何かすればいいし、こんな歳になって下品で偉そうな奴に使われるのは悲劇だけど、余裕があればそれも違ってきます。私も昔は本当に低賃金で情けない人に使われていました。
今なんとかなっているだけでも有難いと思うべきでしょうね。
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