26年振りに解決したと報じられていて、これが驚くことに、犯人は女で殺害された主婦の旦那さんの同級生だったとか。若いころテニス部にも所属してこの旦那さんに好意を寄せており、事件前には同窓会にも出席している。 自分は既に結婚しており、それでも妬みや憎悪が主婦に向かったのか、どうにも理解し辛いものがある。旦那さんは事件を忘れないためにその後も部屋を借り続け、その費用も大変だった。が、それが結局実を結んだ形といえるのだろうか。
事件のことはあちこちで調べられるのでここで書くことはない。だが、怖いと思うのは、解決の大きな力になったのは担当刑事の交代だったとか加わったとか言われていることで、その刑事は最近になって赴任してきたらしく、その時、絶対に解決するとの強い意志をご旦那さんに示したそうです。
ここですよね、うあっぺらだけでは判断できないし、今までに積みあがったものがあるから引き継いだ担当が解決にたどり着くことができたとの解釈もできます。しかしながら、念には念を入れたということがもしこれまでにあったらすこし違ったのかもしれない。
こういうことは割と日常的にあって、どんな事柄でも、関わる担当が平凡な人でなくて、注意深く親切な人であったり、あるいは意志が強かったりするかしないかでまったく人生が変わることが実はあって、その大きな流れの中でそれとは気づかないまま生きている。そんなことがないだろうかと思うのです。
この件がそうだとは言っていません。それは詳しいことがわかるまでは何とも言えません。しかし新たに赴任してきた刑事がもし適当な人であったら、それはもしかしたら不明なままで終わったかもしれないと思うのです。DNA鑑定などもうとっくの昔に実行力を発揮していて、以後ここまで解決しなかったのも変だとは思うからです。
本来注意深くあるべきなのに日々適当と言うことに関しては、私は医師に関して悔やみきれない経験があります。毎日の診療が惰性なっていて、日常以上のことをするのを嫌がる。ちょっとややこしいのが来ると不愉快になるか面倒になるのが実際に存在しています。
人の違いって本当に大きいと思います。そして怖いです。
0 件のコメント:
コメントを投稿